現・豊見城町に置かれた旧帝国海軍の司令部壕。先の大戦では最後の激戦地となった沖縄戦の貴重な戦跡。資料によれば、当時450mの延長があったとされています。現在司令官室を中心に300mが復元され、公開されています。
アクセスは、車を使わないと今一つ不便。ゆいレールを奥武山公園駅で降りてバスに乗ろうと思ったら、30分以上の待ち時間。2kmないので歩こうかと。google mapの案内でてくてく歩いてたら。えーっと、通れないフェンスの向こうに目的地が。やめてくれよ。
ぐるーっと迂回して何とか到着。入場料を払って、ビジターセンターの展示を一通り眺めます。ここまで来たのですから、慰霊之塔もきちんと見ておかねば。
そしてメインの壕に入ります。しかしこれ凄いな。地下壕って安全考えたら入り口から中をのぞかせるくらいで済ませるのが大抵の場合関の山なのに、ここは大部分入れるようにしている。当然その方が当時の情況を理解してもらうのには良いけれど。勿論補強などはしているのだろうけれど、天井のつるはしの削った跡、所々頭がつっかえそうな狭い通路、士官が自殺した手りゅう弾の弾痕、目の当たりにすると胸に迫るものがあります。
この狭い空間に4千人を超える兵士を収容し、米軍の艦砲射撃に耐えて抵抗を続けた。大田司令による「沖縄県民斯く戦えり」の電文も、この壕から発せられたそうです。
沖縄と本土の間には感情的な行き違いもありはしますが、彼らは沖縄を含む日本を守るために戦った。そのことは忘れないでおきたいものです。
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